三日月が夜空を飾る。宙で車輪を回して空を掛ける朧車に乗った鴆は、暖簾の隙間から見える月の姿を眺めていた。 「鴆様、間もなく到着します」 「そうか」 告げられて、視線を空から地へと移す。朧車が目的地だと示した先には、幾つもの明かりが見えた。今宵、鴆が訪れようとしている奴良組本家だ。 定例の総会が今夜予定されている。急患もなく、自身の体調も悪くなかった鴆は、奴良組幹部として参加するため本家に赴いた。 「どうやら、ほとんど集まっているみてぇだな」 総会に参加するため、各地から貸し元が集まって来る。二代目が仕切っていた頃の勢いを取り戻しつつある奴良組は今、総会に参加する面子も数を増やしていた。 眼下に見て取れる明かりと空にも届く喧噪は、多くの者が集まっていることを示している。薬鴆堂では見られない賑やかさに、鴆は目を細めた。 「鴆様、もう少し中にお入りください。危ないですよ」 身を乗り出し気味になったのを注意される。多少顔を外に出した程度だが、それでも注意を促されたのは、きっと朧車自身が注意を受けているためだろう。今宵運んでいる相手、つまりは鴆の身を安全に運ぶように、と。 鴆自身は、多少荒っぽい運転をされても怒る気はないが、叱る相手が複数いるのを知っている。その筆頭が、奴良組の現総大将だ。 鴆の幼なじみであり、義兄弟でもある奴良組三代目、奴良リクオ。彼は呆れるくらい鴆に対して過保護な一面を持つ。その延長線上で、朧車がくどい注意を受けているのだ。 ここで鴆が身を引かなかった場合、きっと後で叱られるのは朧車だ。自分の身勝手の責が他者にいくのを好ましく思わない妖鳥は、仕方なく指示通りに簾から離れた。 程なく、小さな振動が伝わらなくなる。本家に到着したのだ。 「鴆様、着きましたよ」 するりと暖簾が引き上げられる。 「ご苦労さん、朧車。運んでくれて助かったぜ」 大きな車体に付いた大きな顔に向かって礼を言う。すると強面が嬉しそうな表情を浮かべ、それが妙に愛嬌を感じさせた。 「鴆くん、いらっしゃい!」 屋敷の中から、元気な声とともに駆け寄ってくる存在がある。振り返れば、弾む声同様に満面の笑みを浮かべた義兄弟がいた。 「おう、リクオ。久しぶりだな」 久しぶりと口にしても、時間にしたら十日ぶりくらいだ。おそらく今宵集まった本家直属以外の幹部たちの中で、総大将の尊顔を拝する間隔としてはもっとも短い部類になるだろう。 それでも相手から同意の頷きを得られるのは、普段もっと短い周期で顔を合わせているからに他ならない。近日の状況からすれば、三日と間が開いていないのではないかと思う。それほどまでにリクオとの交友は頻繁になっていた。 顔を合わせるのは主に薬鴆堂だ。つまりリクオが鴆の元に赴いてくれている。今回間が開いてしまったのは、リクオの方で忙しさが増したことで、薬鴆堂まで赴く時間が作れなくなってしまったためだ。 リクオの訪いがない間、鴆の方から本家に行こうかとも考えなかった訳ではない。考えが実行に移されなかったのは、少々やっかいな患者が薬鴆堂に運び込まれていたためだった。 しかし今宵、その患者も回復して鴆の手から放れたことと、リクオの方でも一段落ついたことで、こうして顔を合わせることが叶ったのである。 「良かった、鴆くんが元気そうで」 「お前こそ、最近はかなり忙しかったんだろ? 無理してねぇか?」 「ボクはこれくらい大丈夫だよ。鴆くんこそ忙しかったって聞いているけど大丈夫なの?」 「オレはこの通り、ぴんぴんしているぜ」 以前の、そう目の前の少年が奴良組を継ぐ決意を見せる前までは、床に臥すことも珍しくないことだった。いや、床に臥している時間の方が、起きている時間より長かっただろう。 けれど今は違う。唯一の主と幼い頃より心に決めていたリクオが三代目を継いでからは、気力も生活も充実していて、寝込むことは少なくなっていた。病は気からとはよく言ったもので、正しく鴆は充実した日々を前にして寝込まなくなったのだった。 生来の薄弱さがなくなったわけではないけれど、簡単に寝込むようなところにまで行き着かない。それが嬉しくもあり誇らしくもあった。 胸を張る鴆に、すっと伸ばされる手があった。まだ成長途中の、それでもすでに刀を握ることに馴染んだ手だ。それがそっと鴆の頬へと添えられる。 「そうだね。肌の色も悪くなさそうだし、無理している感じじゃないね」 「お、おう」 じっとこちらを窺う瞳は、明るい茶色を呈している。これが夜になると眩い金瞳に変わるのだ。 どちらの瞳であっても、鴆の大切な主であることは変わらない。そしてまるで相手の底の底まで見通すのではないかと思わせる視線の強さもまた、昼夜共に変わらなかった。 力強さを感じさせる瞳に、自分の姿だけが映し出されている。嬉しいと感じるのと同時に、気恥ずかしさも感じてしまった鴆は、照れ隠しに早口となった。 「リクオは本当に心配性だな。そんなんじゃ、すぐ疲れちまうぞ」 「鴆くんに関して言えば、いくら心配しても心配しすぎるなんてことにならないじゃない。疲れている暇もないよ」 「オレ限定かよ」 「ボクの知る限り、鴆くん以上に無茶する妖なんて見たことも聞いたこともないからね」 くすくすと笑いながら告げられて、返す言葉が見つからない。確かに自分は、周りから「無茶だ無謀だ」と言われることが多々あるからだ。 しかし目の前の少年も似たようなものだ。無茶っぷりは代々奴良組大将の見せる姿のひとつなのだから。三代目を継いだリクオだって例外じゃない。 ただ鴆と違うのは、無茶はしても無謀はしないというところか。多くの妖を引き連れる大将は、仲間の命を守る責を決して放棄しない。だから無謀ととられることはしないし、そんな大将だからこそ仲間も躰を張って守りたいし付いていきたいと思うのである。 鴆とて同じだ。いつもリクオの行動にはハラハラさせられることが多いが、決して離れようなどとは考えることもない。多少の無茶は逆に魅力に感じるし、だからこそ守りたいと思うくらいだ。 「鴆くんが頑張る姿を見るのは好きだけど、無理はしないでね」 「そのままリクオに返すぞ、その言葉。オレだってお前を守るためにいるんだからな」 「相変わらずだね、鴆くんは。ボクこそ君を守る役目だけどな」 「大将が僕を守るように、僕だって大将を守るんだよ。お前もオレを守るばっかりじゃなくて、使うことも憶えろ」 「使っていると思うけど。鴆くんに世話になる妖は大勢居るんだから」 「それは薬師限定じゃねぇか」 このことに関しては、どうにも鴆の気持ちがリクオに伝わらない。薬師の腕前を見込まれるのは嬉しいことだが、鴆の存在はそれだけではないことを知ってもらいたいと思う。 心配性で優しい主が、鴆を使う日が来るか判らないけれど。いつか、別の形で鴆という存在を使ってほしい。 そう思いながら、今日も平行線を辿る会話を繰り返すのだった。 ……本編に続く
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