奴良組の歴史において、最大勢力を誇ったと語られているのは二代目・鯉伴が総大将を担っていた頃。少し前まではそれも過去の栄光と貶められていた奴良組は、近年過去の勢いを取り戻したように勢力を復活させている。牽引力となっているのは、現総大将・奴良組三代目である奴良リクオだ。 祖母と母が人であるリクオは、人の血の方が妖の血よりもずっと濃い。けれど引き継いだ妖の血はより強く、また人としての弱点も長所に変えて、先代鯉伴よりも更にその強さを周りに魅せていた。 組が勢力を伸ばそうとするごとに、当然ながら抗争の回数も増えていく。今夜もまた奴良組のシマの近くで新興勢力を作ろうとした妖たちと派手に一戦を交えたようだ。 本家に待機を命じられていた鴆が、戻ってきた妖たちを迎える。皆一様に興奮している様子だ。その為だろう、怪我をしているのに気付かないでいる者もいる。今夜の出入りが如何に高揚するようなものだったかを、参加出来なかった鴆にさえ伝わってくる状態だった。 「オメーら、いつまでもはしゃいでいるな! 各自躰を点検! 怪我のある奴はすぐにオレのところに来い!」 ざっと見た限り、大怪我を負ったものはいなそうだ。だが小さな傷でも見過ごしてはならないのが、薬師の務めである。目の前にいる、腕の切り傷にも無関心で小躍りしている小鬼をがしっと捕らえ、他の者にもそう呼びかけた。 鴆の声は、さして大きなものではない。興奮した妖の喧噪に紛れたら、簡単にかき消されてしまうだろう。それなのに一言発した途端、その場にいた全員が慌てて自分の躰の状態を確認し始めたのは、妖の耳が良いためか、或いは他の理由からなのか。 どんな理由にせよ、各々が怪我の状態を自覚してくれたら申告を待てばよい。鴆は先に捕らえた小鬼の治療から当たっていった。 派手な一戦だった様子だが、大怪我を負ったものはやはりいなかったようで、擦り傷・切り傷を中心に小さな怪我を片っ端から治療していく。妖たちは揃って鴆の治療を受け、治療が終わった者から宴へとなだれ込んでいった。 治療待ちに並んでいた最後の妖を解放したところで、そういえば治療待ちの列に幹部たちの顔ぶれがなかったと思い至る。小物妖怪でも軽傷だった出入りなら、腕の立つ幹部たちなら怪我はなくて道理かと、ひとり納得して頷いたところに影が落ちてきた。 「治療は終わったか?」 「リクオ!」 日増しに三代目としての貫禄を身につけつつある義兄弟の登場に、鴆も気持ちが高揚する。たとえ出入りに連れていってもらえなくても、やはり己が唯一と決めた主の活躍ぶりを聞かされた後では、嬉しさが先立った。 しかしそれも、主の顔を見るまでだ。誰もが秀麗だと納得する顔に、一筋の切り傷を見つけた途端、鴆の気持ちは義兄弟のものから薬師のそれへと切り替わった。 「どうしたんだよ、その傷は!」 「傷? ああ、こいつか」 刀を操る、少し節ばった指が頬の傷をなぞる。その様は、今まで忘れていたといった風だった。 「向こうに特攻部隊みたいな奴らがいてよ。そいつらがやったんだ」 なかなか良い気合いを持った奴らだった。などと的外れなことを言う主を、直ぐさま座るように指示する。感心している場合かとか、自分のいないところで怪我をしているんじゃないとか、何で直ぐに治療を受けに来ないんだとか、言いたいことは山ほどあったが、ともかく治療を最優先にしたかった。 ところが鴆の焦りとは裏腹に、肝心の当人は至って暢気な構えだ。治療を受ける間も、出入りでの内容を、身振り手振りを交えて話してくる。動かれる度に、治療を邪魔される鴆としてはたまったものではなかった。 「ちっとは大人しく出来ねぇのか、お前は!」 「こんなかすり傷、目くじら立てるもんじゃねぇだろ?」 「いくらお前が他の奴より傷の治りが早いからって、ちゃんと手当しなきゃこんな傷でも跡が残るんだぞ」 「女じゃねぇんだから、傷跡なんざ気にしねぇ」 「お前が気にしなくても、オレは気になるんだよ。こんな小物にやられた傷なんか、跡に残せるか!」 それこそ薬師の名折れだ。憤慨する鴆に、リクオが可笑しそうに笑った。 「まあ、確かに今日の傷は、誇れるような相手にやられたもんじゃねぇか」 「傷は勲章というが、それは相手によるってことを憶えておけ」 「そうだな。オレもお前に傷跡が残ったら、不快に思うだろうからな」 「その傷を作る場所にも連れていかないくせに、嘯くんじゃねぇよ」 「大事なもんを傷つけるわけにはいかねぇだろ」 「置いていかれる方が、よっぽど傷つくぞ」 躰にではなく、心の方に。恨み言をぶつけても、これに関してはのらりくらりとはぐらかされる。今日も薬を塗った綿布を頬に貼られた状態でありながら、それすら魅力の一部に変えた笑みを向けて、肩を竦めて見せた。 「専属薬師はご機嫌斜めだな」 「誰がそうさせているんだよ」 「オレだな」 「自覚はあるんだな」 「おう。だから機嫌を直してやるのもオレの役目だろう?」 言うやいなや、その場で立ち上がる義兄弟。同時に、鴆の身に浮遊感が襲う。 「わっ!」 「おっと、暴れるなよ。落っこっちまうからな」 いつの間にかリクオの腕に中に抱え上げられる。突然とらされた不安定な体勢から、反射的に掴んだのはリクオの襟元だ。己の襟元を見下ろした三代目の口角が、ふっと僅かに持ち上がるのを視界の隅に見て取り、鴆は内心で悪態を吐いた。 出来るなら直ぐにでもこの場から立ち去りたい。けれどこんな時ばかり察しの良い義兄弟は、鴆が行動に移す前により強い力で捕らえてくる。当然ながら力では負ける自分に、抜け出す道などなかった。 「下ろせ!」 「はいそうですか、なんて言うわけないだろ」 「これ以上、オレの機嫌を悪くさせてどうするつもりだ」 「もちろん、全部ひっくるめて回復に務めるさ」 先ずは親睦を深めるところからな。いけしゃあしゃあとそんなことを告げられ、結局リクオの部屋に持ち帰りされてしまった鴆だ。 部屋から離れた場所では、出入りの勝利に浮かれる宴が行われている。勝利の酒に酔う妖から離れ、鴆は別の熱に酔わされる夜になった。 奴良組三代目の自分が、日参に近い形で訪れている薬鴆堂。薬鴆堂の店主であり、リクオの唯一の義兄弟である鴆が迎え入れてくれるのが常だが、そうならない日も案外多い。 薬鴆堂は妖の為の薬局であり病院だ。当然そこには怪我や病気を患う妖が集まる。誰よりも優秀な薬師兼医師である鴆が対応に追われたら、リクオを迎え入れることなど出来ない。 また、鴆自身の具合が良くない場合もある。最強と謳われる毒を身の内に持つ鴆は、基本的に体調が優れない。少しでも無理をすれば、途端に寝込む場合も多くあった。 それらの理由から、リクオにとって薬鴆堂の訪いはある意味賭けのようなものだ。鴆と過ごせたなら賭けは勝ち。過ごせずにそのまま直帰となれば賭けは負け。これまでのところ、勝敗はいい勝負という状態だった。 今夜の訪いは勝利だった。鴆が迎え入れてくれたことから始まったのである。けれどそれも酒を口に含むまでのこと。一杯の杯を干す前に、慌ただしく鴆を呼ぶ声が掛かった。 「鴆様、お寛ぎのところ申し訳ございません」 部屋に訪れたのは、切り盛り上手な薬鴆堂の番頭だった。リクオが訪れていることを知っている彼ならば、余程のことがない限り、ふたりの時間に割って入ったりはしない。声を掛けてくる時点で、耳を貸さない訳にはいかない事項が発生したことなのである。 「どうした? 急患か?」 「はい。鴆様にも至急、診ていただきたく」 薬鴆堂の医師は鴆だけではない。だが腕前において鴆を越えるものは無く、鴆でなければ対応出来ない患者もあった。 しかし番頭の言葉からすると、鴆を呼びに来た理由がそれだけではないと知れる。彼は「鴆様にも」と言ったのだ。つまり他の医師たちも対応に当たっていて、尚且つ鴆の手も借りなければならない状態と言うことだ。 「判った。リクオ、すまねぇが……」 「判っている。オレに構うことはねぇ」 非常事態であることは、リクオにだって知れる。薬師の鴆を引き留めることなど出来ず、直ぐに行くようにと促した。 ……本編に続く
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