輝きを放つ力強い金色の瞳。縁取る睫毛が意外に長かったのだと、鴆は金瞳の上に落ちる影によって知る。 印象的な瞳から高い鼻梁へと続く線は、腕の確かな絵師が渾身の力を込めて描いたかのように美しい。自然の造形とは思えないほどの造りだ。 頬から顎に掛けては、きゅっと引き締まった線となっている。昼間の姿はまだ幼さを残す丸みがあるのに、夜の姿では随分と引き締まる。きっと昼のあの姿も、数年後にはこの線と同じ形をなぞるのだろう。 本当に何処を取っても惚れ惚れする容姿である。優れた容姿は、彼が高位妖怪であることを示していると言って良い。 騙し畏れさせるのが妖の性。騙す相手が、高い知能を持つ人ともなれば、姿をより人に近く、そして優れた形にする必要がある。求める形に成るためには当然ながら高い妖力が必須となるから、これほどに優れた容姿の彼はたとえ人の血が素地にあると言えども、当然のように妖力もまた高いと言えた。 目鼻の形に似合った口元が、ほんの僅かに端を上げるのを視界の隅に拾う。鴆、と名を呼ばれ、そこで漸く我に返った。 「うわっ!」 「おぉ?」 驚いて思わず声を上げれば、その声に驚いたのかリクオもまた目を瞬かせる。しかしそれを認識する間も置かず、鴆は義兄弟の両肩を自らの両手でもって押し返していた。 僅かな時間、沈黙が降りる。破ったのは奴良組若頭からだった。 「何してやがる、鴆」 「それはこっちの台詞だ! あんたこそ、何をしようってんだ!」 「何って……」 そんなことも判らないのか、と言わんばかりの呆れ顔が目前に現れる。向けられた表情に腹を立てたい気分だが、リクオの取った行動の意味を知る方が怖ろしく感じ、口を噤んだ。 鴆が黙ったことで、リクオもまた口を閉ざす。微妙な距離を保ったまま、ふたりの間にはまた沈黙が訪れた。 向かい合う鴆とリクオは、鴆が肩を押しやったが故に腕一本分の隙間がある。裏を返せば、押しやる前はもっと距離が近かった。 互いの吐息が肌に感じられるような距離。瞬きをするときに睫毛が瞳に落とす影すら見て取れるような距離。それほどに近く存在していた。 なんでそんなにも近寄ったのか。鴆はリクオから視線を逸らさないまま、脳裏で今夜の出来事を反芻する。始めは、いつもと同じようにふたりで杯を傾けていたはずだった。 日々の出来事や噂話を肴にして、杯が空になれば互いに相手のものに酒を注いだ。終始楽しい気分で飲み交わしていたはずだ。 ふと会話が途切れることもあった。けれどそこにあったのは優しい空気だけ。どちらからともなく、また思いついた話題を口にして話が再開する。そんな状態だった。 そうした楽しい時間の中、何度目かの沈黙がふたりの間に落ちたときだ。鴆に向けられている金色の瞳と視線が重なった。 綺麗だなと思った。金色が綺麗だと。澄んだ瞳が綺麗だと。思って、目が離せなくなった。 沈黙が続いた。そして外せなくなった視線が短くなっていった。瞳に落ちる睫毛の影が見て取れるほどに。 そうして、我に返れば今の状況だ。まったく、自分はどうしてしまったのだろうと、鴆は内心焦るばかりだ。 鴆の抱える焦りを判っているのかいないのか。半ば睨み合う形でいたリクオが、肩を掴んでいる鴆の手首を捉えてきた。 くっと手の平に力が篭るのが伝わってくる。反射的に、鴆もまた肩を掴む手に力を込めた。 「……おい」 明らかに不満だと伝えてくる声。それでも鴆は手の力を抜くことは出来ない。 「手を離せよ」 「出来ねぇ相談だな」 「なに?」 「離せばあんたも離れるって言うなら、外しても良いけどな」 どうする。そう訊くまでもなく、目前の顔が顰められる。やはり鴆とは逆の望みだったようで、益々手に力を込める羽目になった。 腕一本分の距離。これがぎりぎりの領域。これ以上は認めるわけにいかない。 今、手を離してしまえば。きっとリクオと自分の距離は限りなく零に近付くだろう。彼がそう望んでいることはもはや明白だ。 これまでも、今より近い位置に収まったことは何度もあった。鴆もまた、その距離を受容してきた。拒否するなんてことは、考えたこともなかった。 しかし今日は、いや今は駄目だ。容認する訳にはいかない。そう鴆の本能が訴えた。 何かが違う。これまでとは。 そう思わせるものを、目前の少年は確かに纏っていた。だからこれまでしたことのない拒否をする破目に陥った。 互いに引かない雰囲気のまま、睨み合いが続く。果ての見えない時間に区切りをつけたのはリクオだった。 小さなため息がひとつ。次いで静かに瞼が下されて、視線が外される。最後に捉われたままだった手首も開放された。 諦めた様子のそれに、鴆も安堵を覚える。したくない拒絶をしていたために酷く緊張していたのだと、躰から抜けていく力に教えられるようだった。 ところが。 「わっ!」 脱力した頃合いを狙ったかのように、再びリクオが腕を捉えて来たのだ。しかも今度は抵抗する間すら与えられなかった。 鴆は傾ぐ躰を支えきることが出来ず、腕が引かれた方へと倒れこむ。勢いが付いてしまっていたせいで倒れこんだ先、リクオの胸元に鼻先を強かにぶつけてしまった。 「いってぇ……」 生じた痛みに動きが止まる。それすら計算のうちだったのか、奴良組若頭は義兄弟の逃げ道を塞ぐように、その身を腕で囲い込んだ。 「大丈夫か、鴆」 気遣う言葉が白々しい。鴆は痛みを訴える鼻先に手を添えたまま、恨みと悔しさを混ぜ込んで元凶をキッと睨みつけた。 「騙すなんざ、卑怯だぞ!」 「騙すのが妖の性分だろ。ましてオレはぬらりひょんだぜ」 騙してなんぼの妖だ。飄々と言ってのける様が尚のこと憎らしく映る。もちろん、余裕綽々の態度も立腹ものだ。 「離せ」 「嫌だね」 「テメェ……」 「凄んでも無駄だぜ」 ニヤリと笑う様が憎らしいはずなのに。見事に嵌っているから性質が悪い。 囲う腕は力強く、鴆の力ではとても押し返せそうもない。そして向けられる視線も、飄々としているようでいてけれど力強く、逸らすことは叶わなかった。 ―――否、そうではない。 心のどこかで否定の声が上がる。躰を支える腕は確かに力強いが、見た目ほど力は入っていない。視線だって、逃げる隙はあるように思う。 囲いを解かないのも。 視線を逸らさないのも。 全ては鴆の意思。鴆が本気でここから逃げ出したいと思っていないからだ。 このままここに留まってはいけない。この先の訪れるのは、きっとこれまで経験しなかったものになる。その予感、いや警告は鴆の中で確かに感じ取れているのに。 逃げ出したくないと思ってしまっている自分が居る。その心に気付いたとき、鴆は呆然となった。 「鴆……」 「っ!」 名を呼ばれて。近かった距離が更に縮まる。鴆は息を呑み、反射的に目を硬く瞑った。 ********** 「…………さま、リクオ様!」 「へ?」 ポンと肩を叩かれ、リクオは手にしていた筆記具を落としてしまう。反射的に向けた手元には、夏休みの宿題のプリントが広げられている。ただしそこには解答ではなく、意味不明の文字とも記号ともつかないものが書き込まれていた。 「あ……」 自分が書いただろう筈のそれだが、まったく憶えがない。いったい何時から自分は上の空だったのだろうか。 「若?」 もう一度呼ばれ、リクオはプリントから意識をそちらに向ける。そこにはスイカを脇に抱えた青田坊が居た。 「お疲れですかい、若」 「ううん、そんなんじゃないよ」 巨漢というに相応しい体躯を屈め、心配そうにこちらを気遣ってくる部下に、リクオはゆっくりと首を横に振る。しかし暫くぼうっとしていたためか、青田坊は直ぐに納得する様子を見せなかった。 「日中は暑いですからね。暑気あたりでもしちまいましたかい? 雪女を呼んできましょうか」 「平気だって。この暑い中、力を使ったらつららの方がばてちゃうだろうしね」 夏真っ盛りのこの時期、外に出れば確かに容赦のない太陽の熱に曝される。けれどリクオが今居るのは本家の自室で、直接光が届く位置ではない。更に言えば、古い日本家屋造りのこの家は、近年の新興住宅よりもずっと天井が高くまた風通しも良いため、あまり暑いという状態にはならないのだ。 事実、リクオの部屋にはクーラーどころか扇風機も置かれていないが、汗も殆ど出ていない。雪女の力を借りて部屋を冷やす必要など、何処にもなかった。 もとよりリクオが呆けていたのは、暑さが原因ではない。気を取られていたのは、全く別のこと。 『考えても仕方ないんだけど……』 こっそりとため息を零してしまいたくなるのは、昨夜の出来事。夜の姿になったリクオが、赴いた先である薬鴆堂での記憶。朝からずっと、そのことがリクオの脳裏で反芻されていたのだ。 躰に流れる、ぬらりひょんと呼ばれる大妖の血。四分の一しかなくとも力は強く、血が目覚めればリクオは人から妖の姿へと変貌する。 かつては妖に変貌しても記憶は残らなかったが、今は鮮明に残るようになった。リクオが自分の血を受け入れたからだ。 人の姿であっても、妖の姿であっても、リクオはリクオだ。どちらも自分である。記憶も感情も同じものを持つ、はずだ。 『でも、本当に同じなのかな』 自分のことではありながら、リクオは考え込んでしまう。記憶はともかく、感情は違うような気がしてならないのだ。 嗜好などは変わっていないと思う。けれど妖の血が表に出ると、自分は随分と好戦的だ。そして興味のないものについてはさっさと放り出す。人としての自分だと、喧嘩は避けたいと思うし、興味の薄いものでも付き合いで行うことも多い。こういうところからも、同じ感情を抱いていないように思えるのである。 だから、彼に対しても。 リクオの脳裏にまた鮮やかに蘇る。昨夜見た、鴆の顔が。 彼の馴染みのない表情が、リクオの気持ちを落ち着かなくさせる。記憶を払うように、リクオは強く頭を横に振った。 ……本編に続く
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