にわか雨





 どうしよう。

 空を見上げて、リクオはもう既に何度も繰り返した自問自答をまた呟く。発せられた声は小さく、自然界が奏でる音に紛れてしまったけれど。
 不規則に並ぶ山の木々。大きく広げられた枝の間から見える空は、全て灰色だ。重い色の雲に覆われた空は、先ほどから大粒の雫を大地に向けて落としていた。
 突然の雨だった。予兆はなく、当然ながら雨具など用意していなかったリクオは、降り出した雨に足止めを余儀なくされていた。
 この山のどこかに、大事な義兄弟が居る。薬草を求めて彼の屋敷の裏山に登ったと、留守を任された番頭が話してくれた。きっと彼も突然の雨に、今の自分と同じく雨宿りをしているはずだ。
 奴良組の三代目を継いでから、リクオは何かと忙しくなった。やることの多さに、一日がこんなにも短く感じるようになるのだと、驚くくらいだ。しかし忙しい時間に、ぽっかりと穴が空くときがある。
 突然出来る自由な時間。それまでの忙しさがなんだったのかと問いたくなるような、ゆとりの時間だ。今日、正しくそんな不意の時間が出来、リクオはその時間を大切な妖鳥と過ごすことに当てたのだ。
 突然出来た時間だから、薬鴆堂への訪いも突然だ。だから目的の相手が屋敷に居ないなんて事態も、仕方のないことだった。
 主の不在を申し訳なさそうに話す番頭を宥め、リクオは鴆を追って裏山に入った。そして義兄弟の姿を見つける前に、雨で足止めを喰らってしまったのである。
 本家を出たときも、薬鴆堂を出たときも、空は晴れていた。それなのに、四半刻もしないで雨が降るなんて詐欺もいいところだ。
 止む様子を見せない空を、忌々しく見上げる。いっそ濡れてもいいから、鴆を探しに行こうか。何度かそう考えては、同じ数だけ止めるべきだと思い直す。
 濡れることが嫌なわけではない。濡れることで、専属薬師が顔を曇らせるだろうことが嫌なのだ。リクオの体調を気遣う鴆が、雨に濡れることをよしとするはずはないのだから。
 とは言え、このまま待ちぼうけはしたくない。突然出来た自由な時間は、いつまた突然忙しくなるか判らないからだ。

 どうしよう。

 また同じ言葉がリクオの口から零れる。応えるものなど何処にも居ない問い、の筈だった。

「何がどうしようなんだ?」

 自分以外の声に、リクオははっと振り返る。雨宿りしていた木の、太い幹の向こう側に求めていた者が立っていた。

「鴆くん!」
「こんなところで雨宿りしていたのか?」

 摘んだ薬草を盛った籠を片手に、鴆が雨の中をこちらへ歩いてくる。天からの雫は、雲と彼の頭との間に挟まれた番傘によって、痩身に触れることはなかった。
 この状況で傘を差しているところを見れば、彼は最初から傘を持参していたと知れる。雨に濡れてしまっているのではと危惧していたリクオは、ほっと息を吐いた。

「その様子じゃ、傘を持ってこなかったな?」

 リクオ自身と周辺を一瞥した義兄弟は、仕様がないとばかりの表情を浮かべてくる。それに対し、リクオはぷくりと頬を膨らませた。

「鴆くんを追い駆けたときには、まだ空は晴れてたもん」
「雨の兆しはあったろうが」
「どこにそんなのあったって言うのさ」

 近年は異常気象が続いている。雨だけでなく、雷や雹なんてものまで、突然降ってくるご時世だ。それらは予測が出来ないのだと、天気を専門に扱う気象予報士だって言っているくらいだ。専門の知識など持ち合わせていないリクオに、雨の予測など出来ようはずがない。
 けれど妖鳥の考えは違うようだ。リクオよりも先に山に入ったのに、傘を持参していたことからもそれは知れる。天候が読めることが、彼にとっての当たり前だった。

「何日も先のことじゃねぇんだ。お前もこれくらいは判るようにならねぇとな」
「それって、鴆くんが鳥だから判るんじゃないの?」
「人にだって判るはずだぜ。ようは鍛え方とやる気の問題だな」

 リクオにやる気があるなら教えてやるぞ。そう言う妖鳥は少しだけ兄貴風を吹かしていたが、リクオは素直に頷いた。何故ならば、そこに加わった笑みがとても柔らかなものだったからだ。
 リクオだけに見せてくれる、優しい笑み。

「じゃあ先ず、この雨の行方からな」
「うん!」

 差し出される傘に飛び込んで。お互いの躰と、摘んだばかりの薬草を濡らさぬよう、ぴたりと躰を寄せ合って。傘の端から見える空をふたりで見上げて。ゆっくりとした歩調で、歩いていく。
 こんな雨なら悪くない。
 忌々しく思えた雨は、何時しか恵みのそれに変わっていた。





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